仙台高等裁判所 昭和29年(く)6号 決定 1954年3月22日
被告人 佐藤勝
主文
本件保釈取消決定を取消す。
理由
本件抗告申立の理由は別紙記載のとおりである。
よつて被告人に関する盛岡地方裁判所一関支部昭和二十八年(わ)第四一号公職選挙法違反被告事件の記録を調査するに、昭和二十八年六月十三日同支部に繋属した公訴事実は「被告人は、昭和二十八年四月十九日施行の衆議院議員選挙に際し、岩手県第二区から立候補した椎名悦三郎の選挙運動者であり且つ同区の選挙人であるが、
(一) 同年三月三十一日頃、及同年四月二日頃の両回に亘り、江刺郡岩谷堂町字男石の自宅において(被告人)高橋平吉から、同候補者のため投票並に投票取纒等の選挙運動方を依頼せられ、その費用並に報酬としてその都度現金一万円宛、計二万円の供与を受け、
(二) 同年四月五日頃、右自宅において被告人高橋貢から被告人佐々木泰治、同後藤四郎、同高橋平吉が前同趣旨の下に提供したる現金十万円の供与を受け
たものである。」というのであつて、被告人は同年五月二十五日付水沢簡易裁判所裁判官の勾留状によつて勾留され同年六月十九日弁護人よりの保釈請求に対し検察官の保釈相当の意見の下に同日一関簡易裁判所裁判官の保釈許可決定に基き即日釈放となつたものであるが同支部第二回公判期日において検察官の起訴状朗読後被告人は同人に関する公訴事実につき冒頭事実は相違なく、第九の(一)は記載の日時場所において高橋平吉から各記載の現金を受取つたことは間違なきも、その趣旨は事務費として受取つたもの、同(二)は記載の日時頃自宅に高橋貢が残包を置いて行つたのを当日午後九時頃開けて見て始めて金ということを知り、その翌々日先に受取つていた二万円と一緒に全部後藤四郎に返した、従つて佐々木泰治外二名の提供に係る現金の供与を受けたようなことはない旨供述したこと、被告人の右被告事件に対する陳述に先立ち弁護人より公訴事実と不可分の関係にあると考えられる捜査関係につき検察官に釈明を求めたい旨の発問があつたが許されなかつたこと並に同支部はその翌二十七日被告人が罪証を隠滅すると疑うに足りる相当の理由があるとして前記保釈許可決定を取消す旨決定し同年三月二日被告人を収監したことを各確認しうる。
そこで右取消原因につき検討を加えるに、本件は同支部第二回公判期日に被告人出頭の上いわゆる罪状認否の段階を終了したに止り未だ証拠調に入らず続行となつたものであり従つて裁判所は爾後如何なる証拠が提出されるか全く不明の段階である。一方被告人の供述の如きは憲法及び刑事訴訟法において原則として絶対的な証拠とは認めていないことは憲法第三十八条、刑事訴訟法第三百十一条第三百一条第三百十九条の趣旨から洵に明瞭であるから仮りに公判廷で自白があつたとしてもこれのみで有罪として刑罰を科せられることはないのである。従つて罪状認否の内容如何の如きはいわゆる「罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由」の有無の決定につき左程重要な役割をもつものでないことは言を俟たない。しかるに被告人は前記の如く全面的に公訴事実を否認した訳でもないのであるし各情状を綜合して考察するも本件は未だ罪証隠滅を疑うに足りる相当な理由があると認めることは困難である。いわゆる右相当の理由とは単なる主観的抽象的な判断では足りない。客観的に妥当するもの換言すれば具体的な証拠を掴んだ場合でなければ裁判所は之れありと断じ職権をもつて保釈取消決定の如きはなしえないものであるというべきであるのに全記載を通じても特に右罪証隠滅を疑うに足りる相当な理由を発見しえないのであるから輙く之れありと認定し職権をもつてなした保釈取消決定は失当であり本件抗告は理由がある。
以上のとおりであるから当裁判所は刑事訴訟法第四百二十六条第二項に則り主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 松村美佐男 裁判官 檀崎喜作 裁判官 有路不二男)
抗告の理由
被告人は頭書被告事件(所謂椎名派選挙違反事件)につき目下盛岡地方裁判所一関支部において審理中のものであります。被告人は曩に右違反被疑事件により昭和二十八年五月二十五日勾留され同年六月十三日右裁判所一関支部に起訴され、次いで同年六月十九日保釈許可決定(検察官も保釈を相当とする意見であつた)により釈放となつていたものであります。然るところ、右被告事件については、同支部裁判官榊原寛担当のもとに、昭和二十八年十二月十八日午後一時同支部刑事法廷において第一回公判が開廷され、被告人に対する所謂人定尋問があり、次いで次回期日と指定された昭和二十九年二月二十六日の第二回公判期日には、被告人弁護人ともに定刻に出廷し、立会検察官池田忠康より被告人に対する起訴状の朗読があつて後、起訴状に対する被告人の陳述(刑事訴訟法第二百九十一条第二項に基く所謂起訴事実に対する認否)があり、次回公判期日を同年四月十六日午前十時とする旨の指定があつて閉廷となつたところ右第二回公判期日の翌日で保釈九ケ月後である二月二十七日、突如として担当裁判官榊原寛は職権で被告人に対する前記保釈許可決定を取消す旨の決定をなし被告人を再び勾留するの暴挙に出たのでありますが、これと前後して所謂椎名派事件被告人十六名中三名は榊原裁判官により同月二十六日勾留され他の保釈中の十二名も二月二十七日同裁判官により保釈取消となり再勾留されたのであります。しかして右保釈取消の理由は、同決定書記載によれば、被告人が罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があり刑事訴訟法第九十六条第一項第三号により取消をなす旨示されておりますが、従来の訴訟進行の経過に徴すれば、右保釈取消決定は、被告人が公判廷において公訴事実を否認した一事を促えて罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由が生じたとの見解に基くものと解せられ、起訴状に掲げられた罪状を否認した故の保釈取消であると認める外ありません。榊原裁判官はかかる見解に基いて椎名派事件被告人中病気など特殊事情のある三名を除き十六名全員を公判審理の頭初において一斉に勾留したのでありまして、同裁判官の態度は後述の如く、法律の極めて明白な誤解に出たもので到底吾人の司法常識をもつては理解し得ないところであります。
抑々本件の審理状況は、冒頭記載のとおり、裁判官検察官弁護人三者の打合に基き審理は円滑に進められ罪状認否を終つたに止まる段階にあり又右第二回公判期日における被告人の陳述は、極めて簡単なもので公訴事実の一部分を否認(概ね金員授受の外形的事実を認め金員授受の趣旨を否認)したに過ぎない程度のものであります。(記録参照)右保釈取消決定書に、その理由として掲げられている刑事訴訟法第九十六条第一項第三号の「被告人が罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があるとき」とは、単なる主観的抽象的な判断で罪証を隠滅する疑があるというだけでは足らず、罪証の隠滅を疑わしめる可なりな程度の具体的根拠を掴んでいる場合、即ち罪証隠滅の疑が客観的に妥当する場合に限らるべきであることは贅言を要しません。新刑事訴訟法は被告人に対し有罪判決のあるまでは無罪の推定を下す建前をとつており、保釈の場合においても同法第八十九条において所謂必要的保釈又は権利保釈を認めてこの建前を堅持している位でありますから、無罪の推定を受けている被告人が公判廷において罪状を否認したこと自体を捉えて、保釈取消事由である罪証隠滅の疑ある理由とすることは許さるべきではなく、況んや「疑うに足りる相当な理由」即ち客観的に妥当性ある理由には到底該当すべくもないと解されます。殊に本件においては、公訴事実の認否を終つただけで未だ証拠調にも入つていない初期の段階であり、その他罪証隠滅を云々される何等の行為も被告人は行つていないのでありますから被告人が罪証を隠滅する疑などあらう道理がありません。否認即ち罪証隠滅の疑ありとの論は、公訴事実を絶対視し有罪を前提としたところの謬見であり、法の精神に反する暴論であると考えます。起訴状に掲げられた罪状を否認した事実を捉えて「罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があるとき」と認めることが仮りに是認されるとするならば、被告人は常に保釈取消決定による勾留の危険に身を晒されこれに怯えて公判廷における自由な発言を行うことは極めて困難となり、また勾留の危険の前に被告人の防禦権及び弁護権は重大な制肘を受けることとなり、かくては、刑事訴訟の実態は糾問式の封建時代のものと化し去り、厳正公平と人権尊重を本旨とする憲法並に刑事訴訟法の精神は全く蹂躪され裁判の権威は失墜し、延いては裁判所に対する国民の信頼感を失わしめる由々しい結果を招来する虞すらなしとしないと考えます。
これを要するに、本保釈取消決定はその理由が全然ないものと思料するので、ここに右決定に対し抗告しこれが決定の取消を求めるため本申立に及んだ次第であります。